友人がくれた富士山






5年前の今頃、



年賀状を出せないと、

メールで

小学校からの友人に報告しました。



大人になってからは

お互いに遠くに住んでて

会うことはほとんどなかったけど


たまにメールやら

年賀状のやり取りは

してました。



返信のメールには、

出張で移動中に撮ったという


立派な富士山の写真。


年末だけど

お年賀の代わりって。





5年前の今頃

プライベートがゴタゴタしてて

心身共に疲れきってました。


若い頃の自分は、

友人、知人に愚痴を聞いてもらってたけど



人間、辛過ぎると

何も話す気が無くなります。

この時がそうでした。



話すと、

追体験して余計にしんどくなるから。

それに向こうも、

仕事や家庭で忙しいから

余計な事は言わないでおこうと

思ってました。


年賀状を書く余裕もなく


そんな理由で

何気なく交わしたメールでした。



その写真の富士山が、凄く素敵で

御守り代わりに

暫く携帯の待ち受けにしてました。



翌年の秋

別の友人から連絡があって

その友人が亡くなった事を知りました。



前の年、年賀状を出せなかったから、

私は喪中ハガキのリストに

入らなかったようです。



その時点で

友人の亡くなった理由は不明でしたが




その後

亡くなった友人のお母さんに

話を聞く事ができました。




死因は不明なままでしたが




亡くなる1ヶ月前に

「しんどい」とフラッと

実家に帰って来たこと。



亡くなった後、

その夫から

何ヵ月も前から精神科にかかって

薬物療法を受けていた事を聞いたそうです。


仕事か、家庭の事なのか、

何が原因かは分からないままですが

生活の中で

かなりのストレスを抱えていた

という話でした。



お母さんから色々な話を聞く中で


富士山の写真をくれた時、

もうすでに彼女が大変な状況だった事を

知りました。






この時に思ったんです。

もしメールで、

自分は今辛いんだって言ってたら、


私もなんだ


ってポロッと

返してくれたかもしれない。


こちらが弱音を吐けば、

向こうもつられて

何か言ってくれたかもしれない。



そうやって、

愚痴を少しでも言ってくれたら


何かが変わったかもしれないし

どうにかして

生きていてくれたかもしれないと。




もしもなんて絶対にないんだけど。



年末年始の度に

富士山のメールのやり取りを思い出します。





年の瀬は、来年に向けて

明るい話が出来たらいいんですが


辛い気持ちを抱えて

年の瀬を送ってる方もいると思います。

抱え込み過ぎて、

自分を壊さないでほしいです。


聞いてくれる人が

居ようが

居まいが、


しんどい時は

「私、しんどいわ~」

って吐き出して


どうか、少しでも心を軽くしてください。


しんどい時、しんどいと言える事

私は凄く大切だと思います。






来年は、

穏やかなよい年になるといいな。